~功績~ 第二奇兵隊参謀の活躍を除く
私設図書館向山文庫
文久2年(1862年) 自費で「養義場」という塾を邸宅内に作り、各地に散らばっている清水家の家臣を呼び集め鍛え直した。
来るべき日が近いことを覃庵は想定していたのだろう。
命を守るための術を叩き込んだ。
この塾の評判を聞き、清水家以外の者も集まりそれを受け入れた。
邸宅内に建てた塾のため、収容人数が膨れ上がってしまい手狭になった。
文久3年(1862年) 主家清水親春から、長徳寺の境内に「慕義会」を開くように命を受ける。塾の規模が大きくなり収容人数も多くなった。
塾生にはその中には、後の総理大臣寺内正毅もいた。
塾の中で、覃庵が個人的に集めた本や清水家の本を無償で本を貸し出した。これが向山文庫
のはじまりである。
この図書館は覃庵が自費で集めた本を、皆のために解放した珍しい図書館ということで「図書館学」という書籍にも紹介されている。
明治16年(1883年) 明治になると、2階建ての向山文庫を自費で建て、覃庵は庶民のために自費で集めた本を、無償で本を貸し出した。
新しい時代は、学問が武器になるということを覃庵は知っていたのだろう。
この図書館は、町営図書館ができる昭和初期まで運営されていた。
南画家 難波覃庵
明治維新後覃庵は、隠居し南画を描いて過ごした。光市文化センターでは光市の三代画家と紹介されているほど美しい絵を描いた。
南画家で使用していた名前は覃庵、七溪、楽如、更狂などであるが、覃庵として残しているものが多い。
明治11年(1878年) 68歳の時に、伊藤博文が宮内庁に覃庵の南画を勧め明治天皇に献上した。
参考文献
『三十一豪傑列伝 : 殺気満紙』2,近藤音次郎[ほか],明19.4. 国立国会図書館デジタルコレクション リンク
光市史
覃庵の履歴書下書(個人所有)
天皇暗殺』図書出版
贈位諸賢伝. 国友社. (1927)
図書館学. 国会図書館デジタルコンテンツ 西日本図書館学会